仕事をはじめることになって
(緊急だったので、金曜日に話が来て、火曜日には学校行ってたw)
はじまるまでの4日間は、どうしたのか!?っていうほど
泣けて泣けてしかたなかったです。
安易に、“なんとかなるだろ”の精神で決めてしまったために
レナの預かり先が、何件電話してもホントに決まらず、
今更ながら、レナが心配で、可哀想になってしまって泣けて仕方なかったです。
ちょっと考えれば分かりそうなことなのに、
あと先、考えず我ながらバカだなと。後悔の嵐。。。
こんなに子ども預けて働くのが大変とは思わなかったです。
(人にレナを預けるという覚悟もまったくできてなかったので、全然 子離れできていない自分にもビックリでしたww)
とりあえず実家の祖母(レナ:ひぃばぁ)が見てくれるというものの
80過ぎた、ばぁさんだし、習い事もたくさんしてるし
ホント大丈夫なのか心配で不安で頭がグルグル。
そんなとき、義母や義姉がレナを忙しい中預かってくれたり、
無理言って 昔からお世話になっているお寺さんの保育園の一時保育(週2回)にいれさせてもらったりと
いろいろなところでお世話になりありがたかったです。
そんなこんなで12月はホントあっちにこっちにレナを預けながら、お世話になりながらの生活でした。
授業を進めたり、2週間で通知票をつけたりと、めちゃくちゃ慌ただしかったけど
なんとか生活がまわっていた矢先に、
今度は、そんな無理がすべてレナにたたり
40度の熱が下がらず、入院になってしまいました。
一難去って、また一難。はじめたばかりの仕事を休み看病生活の毎日。
(ちびなので私も一緒に入院生活。)
別の場所で書いていたその時の日記をアップしてみました↓↓
たいしたこと書いてないけど一応リンク貼っておきマス。
入院生活(1)
入院生活(2)
入院生活(3)
一時は、弱気になって、仕事を辞めようかとも思ったけど、
幸いだったことに、この入院期間は、冬休みを挟んでくれたこと。
(クリスマス~1月9日までの入院でした。)
パソコンを病室に引っ張り込みカタカタ仕事ができたので
なんとかなりました。もちろん始業式にかかってしまったので、学校には迷惑をかけてしまったけど。
両家族に、お医者さん・看護士さんに、学校の先生に、友だちに、病室の人に・・・
たくさんの人にお世話になりながら、
ありがたくて、涙、涙の日々でした。
おかげで、病気も無事完治。
たくさんの人に迷惑をかけたけど、レナに大変な思いをさせちゃったけど
勝手ながら、全部 いい経験かなと。。。。
12月は、ホントいろいろなことが凝縮されてありすぎて、
なんでこんなに大変なんだと、後悔したけど、
乗り越えてみれば よかったなと^^
このころ1月から、市の保育所の通常保育に入れることが決まり(←まさにキセキ!)、
私の心の不安も驚くほどスッキリ^^
1月からは、心おきなく学校の方に専念させてもらいました。