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結婚して3年目にして初めて妊娠が発覚しました。
それまでの私は生理不順や酷い生理痛、不妊治療の為、産婦人科や整体に通ったりの日々。
今年の春からは前職を退職し、ハードワークからも解放され、比較的順調に生理も来るようになっていたました。
しかし7月ころからまた腹痛や不正出血があった為、東京に出かけることもあったので8/7産婦人科へ行くことに。
日々の産婦人科通いや母親が不妊だった事も手伝って、自分は妊娠できる体質ではないと思いこんでいたので、
産婦人科で「おめでとうございます」っといわれたときには、本当に吃驚しました。
うれしくて、うれしくて。気づいたら涙が出てました。
相方(旦那)やパパ・ママ(お義父さん・お義母さん)、じい・ばあちゃん(義祖父・義祖母)
お母さん、おばあちゃん、そしてお父さんみんなみんな本当に喜んでくれたことが何より嬉しかったです。
それがうれしくてまた泣けてきました。
私のお腹の中に宿った小さな小さな命。
これから大切に大切にするから元気に育ってね。
とりあえず赤ちゃんが流れてしまうとアレなので親戚・知人にはまだ内緒の方向で。
家族と現職場と親しい友人、それと昨年赤ちゃんができないと悩み(?)をぶちまけていた前勤務先には報告。
みんな本当に喜んでくれた。
発覚後第一に相方にメール【妊娠6週目おめでとうございますだって。うれしい!うれしいよ!!いいお父さんとお母さんになろうね。】と、どこかで聞いたことがあるフレーズを織り交ぜて報告した。それまでいらない、いらないと言っていたが、私に負担をかけないようにの気遣いだったようで、思いもよらないほど喜んでくれたので吃驚した。夜家に帰宅して早速たまごクラブ買ってきて熟読していた。サトにとっても凄い待ちに待った妊娠だったんだね。
次にママに報告。ママも私が不妊で悩んでいたことを知っていて、あせらなくても大丈夫とか、治療行かなくてもいんじゃない、子どもいなかったらいないでたくさん旅行とかできていいよ。とか励ましてくれていたので、ママに報告した時は、やっとやっとずっとしたかった報告ができて泣けてきた。
そして裏のじいばあちゃん宅へご先祖様にも報告。ママも後から一緒に来てくれて一緒に報告してくれた。ホントにみんなみんな喜んでくれた。
それから、実家へ。祖母は「もう諦めてたよ」っと冷静ながらもとてもうれしそうだった。早くお母さんに知らせてやれとおばあちゃん。あまり話しもできないまま入院していた母の元へすぐ駆けつけた。お母さんに子宮の写真を見せると「子宮筋腫?」っと相変わらずのボケっぷり。「赤ちゃんができたんだよ」というと「え?え?」っと、とたんにテンションMax。母も「できないと思ってた」と、ものすごい喜びよう。「早くお父さんに電話して・・・あっやっぱりだめ!内緒にしてて!今日お見舞いにきたとき私が吃驚させてあげる」っとものすごいウキウキ。一気に病状が回復したww母と別れて10分もたたないうちに、「(降りちゃわないか)心配だ」っと携帯に電話がかかってきたwwどれだけ心配性なんだうちのママンww病室で一人あれこれ考えるうちに心配になってしまったそうだwww母らしいっといえば、母らしいがwwwね・・・・・・・www
その足で、ジン(親友)を迎えにカラオケに(既に3時)。発覚したこの日に朝から遊ぶ予定だったけど医者や報告に回るからずっと待っててもらっていた。カラオケ2時間くらいしか遊べなかったwwごめnww最後にジンがキロロのベストフレンドを歌ってくれて、号泣wwジンちゃんありがとう。なんだかこの日は凄い涙腺がゆるみっぱなしだった。
帰宅する前に実家により、お父さんの帰宅を待った。7時頃お父さんはお母さんから聞いてきたようで「おめでとう」っと会うなり言ってくれた。普段無口な父からそんな言葉聞いたことなかったので本当にうれしかった。「もう孫しか楽しみがない」と言っていたのが印象的だった。普段必要以上にしゃべらない父がよくしゃべるので驚いた!もっと父の喜びの声が聞きたくて「(母から聞いたとき)どう思った?」など私は執拗以上に質問した。その勢いでお祝いにご飯を食べに行こうと父がいいだし、受験期によくいった勝つ(カツ)屋さんへ連れていってくれた。《出産に勝つ=頑張って産めってことかww?》ホントこの日は父が凄い喋っていた!それが嬉しかった。
他にも深夜はママから聞いたお義姉さんからお祝いのメールがとどいたりと
本当にみんなに喜んで貰えてとっても幸せな気分でいっぱいだった。
赤ちゃんができたことをみんなに祝福して貰えて本当に幸せ!!あったかい ママっていいな。